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BIG EVENTS OF '66

masterdisc, MDCD007


1 ROCK AND ROLL MUSIC  1'38"
2 SHE'S A WOMAN  2'51"
3 IF I NEEDED SOMEONE  2'50"
4 DAY TRIPPER  3'25"
5 BABY'S IN BLACK  2'39"
6 I FEEL FINE  2'20"
7 YESTERDAY  2'40"
8 I WANNA BE YOUR MAN  2'43"
9 NOWHERE MAN  2'28"
10 PAPERBACK WRITER  2'42"
11 LONG TALL SALLY (imcomplete) 1'05"

<ライナー・ノーツ>

最後のハード・デイズ・ナイト

1966年8月29日、サンフランシスコのキャンドルスティック・パーク球場の2塁ベースの辺りにいるビートルズを見て、腕を振り回して泣き叫んでいたあいだ、一体誰が、これが彼らのアメリカにおける最後の演奏だと知っていただろう?

「私は知っていたわよ」とレイチェル・ドナヒュは言う.彼女は後の夫となるトム・ドナヒューとボビー・ミッチェルと共に、KYAラジオ局の為にショーをプロデゥースするのを助けた.二人はKYAのディスク・ジョッキーだった.

「私たち3人はみんな知っていたわ.だってビートルズが、もうアメリカには来ないつもりだと教えてくれたんですもの」

ビートルズは10000ドルと入場料の1部を保証されていた.今の基準からすればとるに足らない金額である.今日のスーパースターは1回あたり6倍以上の額を要求するのが当たり前になっている.しかし、1966年だったことを思い出さねばならない.24000人の幸運なビートルズファンはキャンドルスティック・ショーに5.50ドルを払うだけでよかった.

ビートルズが1966年8月29日にサンフランシスコに到着したとき、写真家のジム・マーシャルが彼らを出迎えた.「あの日」彼は回想する.「あの日こそが"A Hard days Night"そのものだったね.私は神に祈ったものだよ.我々がバスでキャンドルスティックについたとき、グラウンド整備係が中に入れてくれなかったんだ.彼らによると、我々は正しい許可を得ていなかったんだ.だから我々は状況がよくなるまでHunter's Point(注)の周りをドライブしたんだ.そして20分後にやっと入れた.でもすぐに次の問題が出てきたんだ.我々は芝生の上を車で走る許可を得ていなかったのさ」ジム・マーシャルは言う.「私は、バックステージで、カメラを持った一人の男に過ぎなかった.ビートルズはグループショットを嫌がっていると知っていたけど、それ以上に彼らはとてもナイスで、付き合いやすかったね.」

ビートルズが、スタンド席にいるファンの視界に入ってくるや、歓声の爆発が起こって、それがショーが終わるまでずっと続いた.ステージから10フィート離れたところからカメラを持って注目していたマーシャルは言う.「私は、連中がバンドを聞いていたとは思えないね.あの叫びは狂っているとしかいいようがないよ.」

<ライナー・ノーツ2>

トニー・バーロウテープからのダイレクト収録

2万4千人の絶叫するファンが悪いわけではない.しかし彼らがその8月末の夜に知らなかったのは、
ビートルズはもうそこにいたくなく、自分が調子はずれていないかどうかさえも分からないほど自分たちの
音が聞こえず、これがアメリカでの最後のコンサートとなることであった.

1966年8月31日(水)、San Francisco Chronicle
街で*****************
ビートルズのための指人形劇
******ラルフ J グリーソン

ビートルズは月曜の夜、キャンドルスティック・パークにまるで"A HARD DAYS NIGHT"のワン・シーンのように入場した.

巨大なレンタルバスや何台かの自動車などの、装甲車軍団は警察車に先導されて、キャンドルスティック・パークの駐車場の端の、周囲の道を回った.貨物運送車のようだった.誰もそれがビートルズだとは気づかなかった.

5時45分、駐車場の数百人の子供達は彼らに会うためにゲートに殺到していた.3台の車と、何台かのオート三輪にのった警察は駐車場に入り、球場の右翼入り口に向かって速度を速めた.

***

そして全てが終わった.私が見た中で最も短いロック・コンサートだった.ビートルズは11曲を歌い(2曲以外はオリジナル)、10時までには空港に急ぐ車の中にいた.その間、警察は女の子を担架に載せて運んだり、子供達はバナーを振ったり、サインしたりして行ったり来たりしていた.そしてそよ風が内野の埃の雲を軽く吹き飛ばした.

それは価値あるものだったか?光景としては、社会的興味以外にはノーである.パフォーマンスとしてはイエスである.ジョンレノンが指人形劇と表現したように.これは、4人の理性的で、機知に富む、才能に溢れた4人の人間にとっては、ほとんど続行不可能だったに違いない.


<レビュー>

マスターディスクによる初のライブブート.
とは言え、このライブ自体は既にPyramid recordの"Live in Paris 1964
And In SanFrancisco 1966"で発表されていた.彼らが使ったテープも、
元は同じテープだろうということだ.

このライブは、是非リリースしたいという事で、テープを探し回ったそうだ.
なんせ、最後のライブ(Rooftopは除く)なんだから、歴史的意義は計り知れない.
最後のLong tall Sallyが途中で切れるのもしょうがない(と思うしかない).

このライブテープについては、ポールに頼まれて、トニー・バーロウがステージ脇で録音していた
と言われているが、このテープがそうかは実際のところは分からない.
一応、トニー・バーロウ・テープと呼ばれている.

1970年代に、ポールがテープをなくしてしまったので、またダビングしてあげたとか、
1984年頃、ポールの弟のマイク(芸名マイク・マクギア)が横流ししたんじゃないか
などという噂もある.

Pyramid record版では、途中に空白の部分があるそうだが、これはテープをA面からB面
にひっくり返したときのものであるそうだ.

マスターディスク版は、もちろんリマスタリングを施して、ヒスノイズなんかはほとんど
気にならない.音は、それまでの彼らのCDに比べると、びっくりするくらい良いわけではないが、
やはりこのライブは歴史に残るライブである.
「ライブもこれで最後か〜〜〜」という感傷に浸りながら聴くのが良いと思う.