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ATLANTA '65

masterdisc, MDCD 008


 


1 MC by Maintains Taylor  2'14"
2 TWIST AND SHOUT  2'09"
3 SHE'S A WOMAN  2'45"
4 I FEEL FINE  2'38"
5 TICKET TO RIDE  2'43"
6 EVERYBODY'S TRYING TO BE MY BABY  2'43"
7 CAN'T BUY ME LOVE  2'37"
8 BABY'S IN BLACK  2'40"
9 I WANNA BE YOUR MAN  2'33"
10 HELP  3'13"
11 I'M DOWN  3'02"

<ライナー・ノーツ>

ビートルズが街にやってきた日

街がビートルマニアに侵略されたら、どんなかんじか?では8月18日のアトランタで何が起こったか見てみよう.この日、ビートルズはアトランタ球場で演奏した...

それは1965年8月18日.30年前のこのだった.ビートルズがやってきた.
「アトランタ球場で行われた、どのロック・コンサートとも比較にならないね」
「アトランタ球場でのビートルズのコンサートは、私が今まで目撃した出来事の中で、最も心に残るものだ」
「球場全体が異常な興奮に包まれた.私はまだ少女達の顔を見れたんだが、目に涙を浮かべていたね.壁によじのぼろうとして警官が抑えようとしていた.忘れられないね」

忘れられない、信じられない.このような言葉は、ビートルズの、唯一のアトランタ公演にいた34000人の群衆に使われる.
「ビートルズはビッグ・イベントだったのさ.間違いないね.」「アトランタの歴史さ」

水曜の朝、Constitution(おそらく新聞、訳注)の1面は「Bの日」がやってきたことを告げていた.ビートルズとその随員達40人は空港の、対角地に到着した.それが視界にはいらないファン達はターミナルで午後2時頃まで待っていた.
3台のリムジンが彼らを球場へと運んだ.そこで、彼らはアトランタでの滞在の全ての時間を過ごしたのだった.
その日の夜に起こったことは木曜日の朝刊の一面を占領した.市長のアレンは、ビートルズに「名誉上のアトランタ市民」を宣言し、King Curtis, The Discotheque Dancers, cannibal and the Headhunters, Brenda Holloway and Soundsなどの前座が続いた.

午後9時37分、ビートルズが濃紺のスーツに身を包み、3塁ベースの方から、2塁ベースの辺りに作られたステージにかけよる姿を見て、観客は耳をつんざく叫び声を上げた.(この様子はCDで聴ける(訳者))

ステージから見ると、群衆は、「何千もの火の玉に見えた.いつもカメラのフラッシュが光っていたからだ.とても美しいと思ったよ」

ショーは、Constitutionには4ページ、The Journalには6ページの写真と記事で紹介された.
Twist and Shoutで始まり、She's A womanが続き(ポールのマイクが垂れ下がった),
I Feel Fine, Dizzy Miss Lizzy, Ticket to Ride, Everybody's trying to be my baby(ジョージの唯一のリードヴォーカル),Can't Buy Me Love, Baby's in Black,  I Wanna Be Your Man, A Hard Day's Night, Help, I'm Downが演奏された.

「一つの連続した絶叫が続いた」
「超ハイ・ピッチで、小さくなることはなかった」
「絶叫のなかで、彼らの声を見つけるのは本当に難しかった」
「Jacksonvilleよりはましだったよ.Jacksonvilleの時と違って天気は完璧だった.あのときは風が強くて、リンゴは大変だった」

コンサートの評価は概して好意的だった.少しは恩着せがましいところがあったにせよ.

The Journalは「彼らのコンサートを聴くのは、人間が得うる中で最も驚くべき、娯楽に富んだ頭痛だ」と述べた.

ショーの後、リムジンはビートルズをアトランタ空港へ直接連れていった.そこで彼らは200人ものファンを逃れて真夜中の直前にヒューストンに向かって発った.次の日の午後3時30分にそこでコンサートが予定されていた.

「それまでに得たなかで一番の収入だったよ」Bridgesは言う.彼の商社は、Ferrante&Teicherのように、今や最も将来を約束された代理店である.「でも我々が計算して皆に払っていたら、損していたと思うよ.それでも、我々がそれをして嬉しく思う.我々はそれで悪名を得たのだからね.今までにおこったなかで一番大きな出来事だった.」

そして、アトランタ球場で起こった中で、一番大きなことに違いない.

<ライナー・ノーツ2>

それは1965年8月18日のことだった.その日、ビートルズが街にやってきたのだ.

「アトランタ球場で行われた、どのロック・コンサートとも比較にならないね」

WQXI-AMのディスク・ジョッキーで、ビートルズのコンサートをサポートしたテイラーは言う.

「アトランタ球場でのビートルズのコンサートは、私が今まで目撃した出来事の中で、最も心に残るものだ.球場全体が異常な興奮に包まれた.私はまだ少女達の顔を見れたんだが、目に涙を浮かべていたね.壁によじのぼろうとして警官が抑えようとしていた.忘れられないね」

「一つの連続した絶叫が続いた」
「超ハイ・ピッチで、小さくなることはなかった」
「絶叫のなかで、彼らの声を見つけるのは本当に難しかった」

忘れられない、信じられない.このような言葉は、ビートルズの、唯一のアトランタ公演にいた34000人の群衆に使われる.


<レビュー>

久々のライブ新音源.元になったテープは、アメリカ人が売り込んできたらしい.
聴いてみたら、"I Wanna Be Your Man"のところでポールの弦が切れている、
ということで新音源であることが分かったということだ.

確かに、ビートルズのライブは、曲目、MCとも一緒の事があるので、こういう
アクシデントがないと他の区別が難しいこともあるのかもしれない.
僕は、曲を聴いている間は、弦が切れたなんて気づかなかった.
その後のジョンのMCで初めて分かった.
皆さんは気づきましたか?

元々のテープは、ヒスノイズがひどかったらしいが、
マスターディスクお得意のリマスタリングで、高音質を
獲得している.スタジオテイク程ではないが、ライブはこんなものでしょう.

ライブはあのシェアスタジアムの3日後で、全盛期のライブが楽しめる.
このノリとシャウト.この場にいたかったと思うのは僕だけではないはず.
ジョージが、曲紹介で、"from BEATLES '65"ときちんと言っているのが
微笑ましい.

ライナーを読んだ後、聴いてみると、確かにビートルズが登場したときの
絶叫は、それまでの絶叫の何倍もすごい.みんなどこにこんなエネルギー
を蓄えていたのでしょう?(笑)
これでは演奏が聴けなくて当然と言えば当然.